『嫌われる勇気~自己啓発の源流 「アドラー」の教え~』(以下『嫌われる勇気』) は、2013年12月13日にダイアモンド社から発売された、心理学者アドラーの提唱する通称「アドラー心理学」を解説した書籍です。

発行部数130万部を越え、今なお世界各国で売れ続けている『嫌われる勇気』。2017年1月にはフジテレビ系木曜劇場枠でテレビドラマ化もされ、ますます注目を浴びている名書です。

このページでは自分革命.comの趣旨のもと、自分を変えていこうとする自分革命家に向けて、『嫌われる勇気』から得ることができる7つの気づきを書いていこうと思います。







『嫌われる勇気』あらすじ

『嫌われる勇気』は、多くの悩み、疑問を持った青年が、アドラー心理学を説く哲人のもとを訪れ、対話を通してアドラー心理学を理解していくという形式で書かれた本です。

対話形式という形をとっていることでそこにストーリー性が生まれ、本来難解であるアドラー心理学の考えをスムーズに理解することができるように工夫されていることが、『嫌われる勇気』が今なお人気を博している理由の一つではないでしょうか。

そして、本書の面白さを際立たせているのが青年の存在です。大げさなほどの世の中に対する不満感、暑苦しいなぁと思わずクスッとしてしまうような感情の起伏の激しさ。それが読んでいる我々を和ませてくれます。

青年の抱える疑問は、表現として大げさで感情的でありながら、誰もが一度は思ったことのある感情ばかりで、自分自身の世の中に対する不満を爆発させて代弁してくれているような気さえしてきます。

そしてその青年に対しての、あまりに冷静な哲人の切り替えし。その落差が、よりこの本に引き込まれる理由として際立っているのではないでしょうか。


ここからは『嫌われる勇気』を内容をすこし紹介していきたいと思います。



※ネタバレを含みます
もうすでに『嫌われる勇気』を読んだことのある方、不要な方は目次まで戻って飛ばしていただいて構いません。

第一夜 トラウマを否定せよ

第一夜では、青年が「人は変わりたくても簡単には変われない」ということを力説し、哲人がその考え方をアドラー心理学としてどうとらえるべきかを説いていきます。

過去によっていまが決まるのではなく、いま現在自分がどうしたいかという目的に沿って行動し生きているというのがアドラー心理学の考え方であり、「人は変われる」ということを前提として考えていくことに迫っていきます。

トラウマは無いものだとして、過去の出来事に自分がどのような意味合いを持たせるかによってすべてが変わることを提唱します。

不幸であるということを自分で選んでいる。それが自分のため、自分を守るためであると哲人は言います。そればかりか、不幸であることに加えて悲観的でひねくれた性格までもが自分で選択したライフスタイルからくるものであるとし、その理由は新しい自分に変化することへの恐れからくるものだと哲人は青年にいいます。

可能性の世界に生きるのではなく、今のライフスタイルを捨てる勇気を持ち、今の場所よりも前に進むことの重要性を説きます。

第二夜 すべての悩みは対人関係

第二夜は、「人の悩みはすべて対人関係の悩みである」というテーマをもとに、青年と哲人の対話は続きます。

自分のことを好きにならない目的は、対人関係の中で傷つかないようにしたいからであり、自己評価を下げることによって、対人関係を築かずに済む(傷つかずに済む)理由付けをしていると哲人。

劣等感は誰にでも存在し、本来悪い意味ではなく、本人の捉え方次第でいい方向に考えを変えることができるものであるとした上で、劣等感があるからこそ向上し、理想に近づきたいと思えると哲人は青年に説きます。

劣等感と劣等コンプレックスは違うものであり、劣等コンプレックスとは自分の劣等感を言い訳にし始めた状態のことであり、本来関係のないものを自らの中で関連付け、自分を説得してしまうという問題点を哲人は提起します。

同じように劣等感を悪い意味でとらえ、その逃げ道として優越コンプレックスに陥るパターンの説明もされています。自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸り、他者の価値観の中でしか自身の価値を見出せない状態に陥ることを指しています。

同じように不幸自慢をする人も、不幸という道具を使って他者の中で特別であろうとする目的を持っています。その人は不幸を永遠に必要として生きていかねばならず、一生不幸になってしまいます。

競争の中では劣等感は健全なものとして機能せず、競争で勝ち負けを競い続ける限り劣等コンプレックスや優越コンプレックスに苛まれ、世界全体が敵に見えてしまうことを哲人は青年に語り掛けます。敵だらけの世界では、心が落ち着く場所も、幸せを感じることもできません。

そして仮にその競争や争いに勝ったとして、次に待っているのは復讐であり、その段階まで行くと当人同士での解決が困難となります。そうならないためには、自分の誤りを認め謝罪することが重要であり、これを「負け」と思う必要はないと哲人は言います。

世界を仲間と思うためには、まず自分の人生のタスク(課題)を解決していくことを主とし、自立・社会との調和を目指すことを必要とします。そのタスクを仕事・交友・愛の3つに分け、それぞれを解決することで、すべてを受け入れていけるようになると哲人は言います。

その人生のタスクを避けようとするための口実を、アドラー心理学では人生の嘘と称し、人生のタスクを解決するには、それに向き合っていく勇気が必要なのだ、と哲人は説きます。与えられたものをどう使うか、それが重要だと哲人は語り、第二夜は幕を閉じます。

第三夜 他社の課題を切り捨てる

第三夜では、「他者からどう見られているか、他者のことをどう見るか」についての議論がなされます。

アドラー心理学では、他者から承認を求めること(承認欲求)を否定します。他者からの期待を満たすために生きている限り、それは他者の理想の人生を歩くこととなり、自分の人生を生きているとは言えないと哲人は説きます。同じように他者に期待を押し付けてもいけません。

その為には、それぞれの課題は誰にあるのかを理解しなければなりません。自分の課題と他者の課題を明確に分けることによって、対人関係のトラブルは回避できるとしています。

自分の信じる最善の道を選ぶことしか自分にはできず、それについて他者がどう感じ、どういった選択をするのかは、どうすることもできないことを理解することが重要です。

承認欲求を求めること、それはすなわち他者から嫌われたくない、ということ。

それは自分にも周りにも嘘をつき続けて生きていくということである、と哲人。

青年はそれを自己中心的であると非難しますが、他者の課題に介入し、操作しようとすることこそ自己中心的であると哲人は切り捨てます。

自由に生きること。その代償は、承認欲求を求めず、他者の評価を気にせず、他者から嫌われることを恐れないことでしか達成できません。課題の分離により、他者の課題を切り離し、自分の課題に集中することが自由を手に入れるための考え方であり、幸せになるためには嫌われる勇気が必要であると哲人は青年に言います。

第四夜 世界の中心はどこにあるのか

第四夜では、「自分という存在が世界のどこにいるのか、自分の価値とは何なのか」について、哲人と青年のさらに深い議論が交わされていきます。

アドラー心理学の考えに基づき、精神と身体、理性と感情、意識と無意識など、あらゆることはすべて繋がっている。人間個人は分割できない最小単位であり、「全体としてのわたし」を考える「全体論」を哲人は説きます。

 対人関係のゴール地点は、他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じる感覚「共同体感覚」を持つことであると哲人は言います。国家や人類、過去や未来、動物や無機物すべて、ひいては宇宙全体に及ぶまでのすべてを共同体と考えること、それが共同体感覚であり、これを理解することがアドラー心理学を本当に理解したことである、と哲人は青年に説明します。

この共同体感覚は、幸福な対人関係の在り方を考える重要な指標であり、自己への執着を他者への関心に切り替えていくことの必要性を哲人は語ります。

承認欲求にとらわれ、他者からどう見られているかを気にかけてばかりいること。それが最も自己中心的な考え方である。世界の中心は自分ではなく、自分は世界(共同体)の一部であると思えない限り、仲間を失い、主観的なしがらみから解放されることはありません。仲間の声をきき、わたしはこの人に何を与えられるのかと考えること、それが自分の居場所を得る方法だと哲人は言いました。

共同体感覚はあらゆる場面に存在し、どんな些細なことからも感じることができる。生きている中の我々が所属する様々な共同体の中で、その共同体の中に所属感を見いだせないときは、より大きな共同体を意識していくことが必要です。より大きな共同体に入りたいと思うとき、そこに対人関係の問題がある場合、その関係が壊れてしまうことを恐れて生きることは自分らしい人生を歩めないことであり、それならばそんな関係など捨てても構わないと哲人は言います。

課題の分離の中で、他者の課題には介入しないことを重要視するが、他者の課題に対しては叱ることも褒めることもしてはいけないというのがアドラー心理学の見解である。叱ることも褒めることも、それは相手を下に見ていることと同じであり、その背後には相手を操作したいという目的が潜んでいて、それはアドラー心理学が提唱する、ひとは「同じではないけれど対等」であるという考え方に反している。と哲人は青年に説きます。

アドラー心理学では他者を対等な存在であると考え、介入という概念を援助という概念に変換します。それをアドラー心理学では「勇気づけ」と呼びます。人が課題の前に立ち止まってしまうのは能力の問題ではなく、単に「勇気」が足りないだけであると続けます。

「勇気づけ」のアプローチの核となる部分は、「他者を評価しない」ということであり、感謝の言葉を伝えることである。人は人から感謝されたとき、他者に貢献できたということを知り、自分に価値があると感じる。それが「勇気」となる。自分は共同体の中において有益な存在だと思えて初めて自らの価値を実感できる。他者からの評価ではなく、自らの主観でそう感じることが、生きる勇気、課題に立ち向かっていく勇気となる。と哲人。

理想から引き算して他者を評価してはいけない。他者がそこに存在していることに感謝しなくてはならない。人は自ら自分の価値を感じる必要があり、存在に感謝し、その感謝の気持ちを言葉で伝えていくことが勇気づけのアプローチとなる。

他者を対等な関係として意識すること、その重要性を説く哲人。日常生活の中でその感覚をすべてに持たなければいけない。その考えに対して青年は矛盾点を追求しますが、哲人は言い切ります。どのような相手であろうと意識の上では対等であるとし、主張すべきことは主張することが大切、と。それがたとえ上司であろうと。

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

第五夜では、いよいよ青年と哲人の対話の総まとめ、アドラー心理学の真髄に迫っていきます。

人の目を気にして、自分らしく振る舞うことができないと言う青年に対し、哲人は3つの考え方を持つことが必要だと言います。

まず一つ目は「自己受容」考え方。ありのままの自分を受け入れ、できないことはできないこととして認め、できるように前進しようと思うこと。「変えられないもの」に注目するのではなく、今の自分に「変えられるもの」に注目していくこと、そしてその変えられるものを変えていく「勇気」を持つこと。それが自己受容の考え方であると哲人は説明します。続けて哲人は言いました。足りないものは能力ではなく「勇気」である、と。

2つ目の考え方「他者信頼」は、信用と信頼を区別して考えることから始まります。信用とは条件付きのものであり、アドラー心理学における対人関係の基礎として、信用ではなく信頼を置きます。信頼とは他者を信じるにあたり一切の条件を付けないことであり、ただ無条件に信じることである。とします。信頼を対等な関係を気付いていくための手段としてとらえ、他者がどうであろうと、自分がどうするか、についてのみ考えればよいと考えるのです。

相手を信頼し、自分と他者の課題を分離し、ありのままの自分を受け入れること、できることとできないことを分離して考え、自分にできることのみを考えること、そうすることによって他者を深く信頼し、より深い関係へと踏みこんでいくことができる、仲間として受け入れることができるのだと哲人は言います。

他者を仲間とみなすこと、それが自分の居場所を共同体の中に見出すことにつながっていくのです。

3つ目の考え方「他者貢献」は、仲間である他者に対して貢献しようとすることであり、自らの価値を実感していくための考え方として、仕事を例にして哲人は青年に説きます。

「ここにいてもいいんだ」という共同体の中での所属感を得るための考え方として、青年は徐々に理解を深めていきます。

青年は自分に自己受容や他者信頼の考え方を持つ勇気がないことを認めます。その勇気が持てない理由として哲人は、物事の一部分に焦点を当て、その一部分のみで全体を評価しようとしていることをあげます。

そして、自分を行為ではなく、存在のレベルで受け入れることが幸せになるために必要な意識であり、幸せになる勇気についての話が続きます。

自分は誰かの役に立っているという貢献感を持ち続けること。主観的にそう思えることが幸福であるとアドラー心理学では定義づける。それは目に見えることだけでなくとも構わない。承認を求めた貢献感は自由がなく、それでは本当の幸せとは言えない。本当の幸せとは他者の評価の中にあるものでない。他者からの承認は必要ない。そう哲人は続けました。

自己受容のための重要な一歩として、普通であることの勇気という言葉を哲人は使いました。

人は特別でありたいという感情の中で特別になれなかったとき、特別に悪くなろうとしてしまう。それは普通であることの勇気によって解決することができる。普通の自分を受け入れること。それを青年に説きますが、青年は反発します。特別を求めない人生などありえない、と。

人生をどうとらえるのか、その考え方に哲人は言及していきます。われわれは「いま、ここにいきる」ことしかできない、計画的な人生など不可能である。という哲人に、青年はくだらない!と吐き捨てます。

対して、将来を夢見て努力していくその「いま」が充実していればそれでいい。哲人はそう言いました。努力した結果行き着く場所が何であれ、「いま、ここ」の瞬間瞬間が結果であり、「いま、ここ」に生きることに真剣になること、過去や未来など、「いま、ここ」で問題視しても仕方ないことである。「いま、ここ」に全力に生きないこと、それが人生最大の嘘であると哲人は言いました。

これからなにができるのかを考え、無意味な人生に自分で意味を与えること、自分で自分の人生に意味を与えることが重要なのだという哲人に、自分の人生が無意味だという青年は言います。哲人は答えました。人が自由な道を選ぶとき迷うこともある、その時は「他者貢献」という導きの星を掲げよと。

世界は自分にしか変えることはできない。自分が見る世界に対して、自分の与える力は限りなく大きいことを青年が理解し、哲人とともに歩いていくと決心する。ここで第五夜、「嫌わる勇気」の夜が終わります。

「嫌われる勇気」を読んで

嫌われる勇気を読み終えて、まず感じたこと。それは”分かるけど…分かるけど難しい!”ということでした。書かれていることが革新的過ぎて、着いていけない、理解が追いつかない、そう思いました。哲人の説くアドラー心理学、時代を100年先行しているという節が本文にありますが、まさにそう思えました。

実際僕たちが生きる現代社会のしがらみの中、アドラー心理学を取り入れ実践していけるのか、「勇気」が足りない、まさに哲人の言葉がこころに刺さるようでした。

アドラー心理学を実践すればまず確実に嫌われること、他者から疎まれることでしょう。

偽善者だ、と言われたりすることもあるでしょう。

しかし同時に、自分らしく、自由に生きることができるようになることも間違いありません。

今の自分を変えていくとき、失うものもたくさんあります。その「失うこと」への「勇気」、その勇気があれば幸せになれる、そう思える本でした。

 

さてここからは「嫌われる勇気」から学ぶことを7つのテーマに分けて書いていきたいと思います。

日常生活の中で実践することができる内容をメインにしていきますので、参考にして頂ければ幸いです。

日常生活で使える!嫌われる勇気に学ぶ7つの考え方

1.過去のことは気にしない

人は誰でも楽しかった過去、辛かった過去を持っています。

思い出せば、一生自分を支えてくれたり、笑顔にしてくれるような素敵な思い出もあれば、絶対に思い出したくない、忘れ去りたいようなつらい過去もあります。

人は過去の経験をもとに、これからしようとすることの結果を予測し行動しています。

過去成功したことがあれば、また次も成功するだろうと思えてやる気もわいてくることでしょう。

ですがそれとは逆に、過去に失敗したことや辛かったことがネックになって、新しいことができなくなってしまうこともあります。

例えば

  • 大事なプレゼンで失敗してしまった
  • 好きな異性に告白してフラれてしまった
  • 受験に落ちてしまった
  • 大会に出たが、結果を残すことができなかった

確かにこれらの失敗は大きな傷になり、つらい過去としてその後の人生について回るかもしれません。また同じ状況になったときに、「同じ思いをしたくない」という感情を起こし、あなたの足を止めてしまうかもしれません。

ここで、これらのことに対して、自分なりになんの意味を持たせていくかが重要です。

例えば最初の「プレゼンで失敗してしまった」という出来事には、大きく分けて2つの意味を与えることができます。

1つ目は、「また失敗したくないから、もうプレゼンはしたくない」と考えることです。これは今後同じ機会が与えられたとき、足をすくませ、いかにその状況から逃れられるか、または失敗してもいいような状況、つまりは言い訳づくりに奔走することになってしまいます。

2つ目は、「あの時は失敗したが、今度は成功するかもしれない」と考えることです。1度失敗したことによる経験値、それは1度目のプレゼンの時にはなかったものですし、状況、タイミング、相手、環境などもその時とは違っています。1度目の失敗は2度目の結果には直接的な関係などないのです。

その次の「恋人にフラれてしまった」という例から考えてみましょう。

このことに対して与えられる意味は、

好きな人にフラれてしまった、だからもう人を好きになりたくない(傷つきたくない)

なのか

好きな人のことを想い、自分を磨く努力をし、告白するという決心をしたことを大切にするのか(次に活かす)

で変わってくるといえます。

そのほかのいずれのパターンにせよ大切なのは、過去に起きたことによって現在・未来を決めつけることではなく、過去に対し前向きな意味を持たせること、いま自分には何ができるかを考え、恐れずに向かっていくことです。

2.「もしも○○だったら」という可能性の中に生きるのをやめる

日々生きていく中で、「もしも○○だったら」と考えたことはあるでしょうか? ほとんどの人はあると思います。

もしもお金があったら、もしも裕福な家庭に生まれていたら、もしもあの人のようになれたなら

このように考えること、それはすなわち、現状の自分への言い訳なのです。

新しい自分へ変わることへの不安や恐怖、抵抗感、現状の自分でいることへの安心感、それらが可能性の中で生きることを正当化しています。「もしも」という言葉を使い、可能性の中で変わらずに生きていくことが自分にとって一番楽だと考えてしまっているのです。

「変わること」というのは、前に進むことです。前に進むというのは、先の見えない不安に向かっていく勇気を持つということなのです。

可能性の世界に逃避するのではなく、いまのあなたに与えられたものを理解し、その与えられたものの中でどのように考え行動するのか、それがあなた自身を変える一歩に繋がっていきます。

3.劣等感を上手につかう

あなたは劣等感という言葉を聞いて、どのように思い浮かべるでしょうか。

一般的な意味合いとして「自分は人より劣っているという感覚」という使われ方をします。

しかしその「自分は人より劣っている」こと自体は、何か悪いものなのでしょうか。

仮に、天然でおっとりしている人がいたとします。その人自身はそのことに劣等感を覚え、「もっとテキパキできる人間だったら」と考えているとします。ですが世の中にはそのおっとりした性格に癒される人、それを求めている人もたくさんいるのです。

テレビで見るような美男美女にあこがれを持ち、自分の容姿に劣等感を覚える人もいるでしょう。ですが、その容姿に親近感を覚えてくれる人、それでいいんだと言ってくれる人もたくさんいるのです。

人は、人より劣っているという感覚を持っているからこそ、今よりも向上したい、成長したい、変わりたいと思うのです。

劣等感を悪いものだと捉えずに、ありのままの自分を受け入れ、向上する気持ちを忘れなければ、あなたの人生はより幸せなものになっていくでしょう。

4.争いから降りる

世の中は競争の連続である。常に勝ち続けなければならない。負けたら終わり。そう思うことはないでしょうか。

確かに現代社会の中では、他人と競わなければならない場面もあるでしょう。いまや中学校に入ることも競争であり、社会に出れば「結果」という枠組みの中で競争しなければなりません。その競争の先にもたらされるのは「勝者と敗者」という価値観です。

「勝者と敗者」という考え方でのみ社会を生きていくということは、常に自分を取り巻く世界は敵だらけであるという考え方に行き着きます。親や友人、恋人や会社の同僚まで、どこか勝ち負けで見ている部分はありませんか?それでは心の休まる場所もなく、常に誰かと自分を比べ戦い続けることになります。そんな人生は本当に幸せといえるのでしょうか。

戦い続け、勝ち残り続け、社会的な名声・富を得ている人はいます。物質的には豊かになったとしても、常に誰かと競争し、他者からの復讐を恐れ跳ねのけ、ゆっくり休まる時間すらなく、ありのままの自分を受け入れてくれる人すらいない。そんな人生は幸せとは程遠いものなのです。

私たちが比較しなければいけないのは他者ではなく、理想の自分となのです。理想の自分と今の自分を比べ、理想に近づけるように努力する。これが健全な成長といえます。いまの自分よりも前に進んでいること、そこに本当の価値があるのです。

様々な争いから降りることは負けではありません。自分の評価を他者との争いの中に見出すのではなく、あなた自身の中に見出すことによって、他者の幸福を素直に喜ぶことができる。すなわち他者を敵ではなく味方として考えることができます。

敵だらけの世界に、あなたの安息の場所、幸せはないのです。

5.他者から認められようとしない

人は他者に対して何かの行動を起こすとき、2つの大きな考え方の違いをもっています。

1つ目は「認められたい・褒められたい」という感情

2つ目は「役に立ちたい」という感情です。

この考え方の大きな違い、それはその価値を他者の中に見出すか、自分の中に見出すか、の違いといえます。

1つ目の感情「認められたい・褒められたい」という感情、つまり「承認欲求」は、他者の評価に自分の行動の価値を委ねるということになります。逆に考えると、他者の評価が得られなければ行動をしないということにつながってしまいます。

常に相手の顔色をうかがい、相手の期待通りの行動をしようと無理をして生きる。他者からの評価に怯え、あなたらしい答えを見つけることすらできず、あなたらしく生きることのできない。つまりは他者の理想の人生を生きてしまっていることになるのです。

2つ目の「役に立ちたい」という感情、つまり「貢献感」を持って行動するということは、自分の内面の感情によって行動するということです。自分の評価を自分でする、つまりは自分らしく生きるということなのです。他者に依存することはなく、いつでも自分にとって正しい行動、生き方を選ぶことができます。

他者の価値観の中で窮屈に生き続けることは、本当の自分の人生とはいえません。

あなたらしい人生を歩むために、他者の中にではなく、自分自身の中に価値を見出しましょう。

6.自分は自分。ひとはひと。と考える

こんな経験はないでしょうか。

  • 勉強しようと思っていたのに、親からそれを強制されていやになった。
  • 交際している異性に、意見を押し付けられ、変わることを強制され冷めた。
  • 上司から理不尽な要求を突き付けられ、やる気がなくなってしまった。

あるいは

  • 直してほしくて相手の問題を自分事のように考えて手伝ったりしたが、相手は何度も同じことを繰り返し、直る気配すらない。
  • 友人の間違いを良かれと思って追及したが、理解されなかった。
  • 恋人にサプライズでプレゼントをしたが喜んでもらえず、結果喧嘩になってしまった。

これらの問題点はいずれも、「自分の考えていることを相手は理解してくれるだろう」、という決めつけのもとに発言、行動していることにあります。

あなたが何を考え、どんな行動をしたにせよ、それに伴う相手の反応には介入してはいけません。あなたが抱える課題と、他者が抱える課題は別のものなのです。常にあなたは自分の中の課題に目を向け解決していくこと。そしてそれを他者に強要したり、見返りを求めてはいけません。「自分はこうしたんだから、あなたもこうしてくれ」という考え方では、その相手との関係性はよくなることはありません。

まずはあなたが変わること。そこから始めましょう。何度も言いますが見返りを求めてはいけません。あなたが変わったところで、変わるのはあなただけです。相手が変わるかどうかは、あなたには介入できない問題なのです。自分自身を変えることよってのみ、自分らしく生きることができます。そのあなたの変化に気づき、それを真剣に見ていてくれる人には、きっと何らかの変化があることでしょう。

7.「ありがとう」を伝える

あなたは誰かから何かをしてもらったとき、その人に何というでしょうか?

それはきっと、「ありがとう」という言葉でしょう。「ありがとう」という言葉はとても素敵な言葉です。人は感謝されたとき、純粋な貢献感、すなわち人の役に立てた、と実感することができます。人の役に立てたと思うとき、はじめてあなた自身は自らの価値を感じることができるのです。

全てのことに感謝しましょう。あなたがここにいること、相手がそこにいることに。どんな状況でも、どんな些細なことでも、常に感謝の言葉を口にしましょう。「ありがとう」は神言葉と言われますが、「ありがとう」と言われていやな気持ちになる人はいません。

相手がしたことを褒めても叱ってもいけません。叱ることならずも、褒めるということも、相手を評価しているということなのです。評価されていると感じた相手は、無意識の中であなたを上下の関係で意識し、あなたに少しでも落ち度があれば「敵」として責め立ててくるでしょう

そうならないためにも、自分と相手は対等なものとして考え、評価ではなく感謝をする。それが対人関係をよくする最大のポイントです。

誰かの役に立っているという実感のみが、あなたがあなた自身を本当に好きになるための「勇気」に繋がっていくでしょう。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

「嫌われる勇気」に学ぶアドラー心理学。

日本ではあまり馴染みのなかったアドラー心理学も、最近では大企業の研修で取り上げられたり、ドラマになったりと、どんどん注目されてきています。

また、我々の日常生活の中にも応用できる考え方が数多くあります。

対人関係にストレスを抱え、生き方に迷っている人にはぜひ参考にしてほしい一冊でした。

 

長くなってしまいましたがここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

「ありがとう」、素敵な言葉ですね♪